哂う豚

あえて火中の栗を拾う

廃人から俳人へのメタモルフォーゼ――わたしがブログを始めた理由2

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わたしがブログを始めた理由2

前回のお話し 海馬が脳から逃げてゆく――わたしがブログを始めた理由1 - 哂う豚

 

で、「そうだ、俳句だ!」とひらめいたのです。

俳句だったら、5.7.5。たった17文字。きっと書ける。

一日一句を毎日の日課にしよう。

そこから文字を綴るという感覚を取り戻そう。

とはいえ、わたしのことだから、必ずサボる。三日坊主になる。

何かサボりのストッパーになる方法ってないだろうか。

……そうだなあ。ブログってどうだろう。

 

どうせ無名の個人ブログなんて、読みに来る人は皆無でしょう。

でも、そこがいい。

「人目に晒されているかもしれない」という適度な緊張感が保てつつ、

実際には見に来るひとなんか、ろくにいないっていう安心感

わたしったら頭良い。まだボケきってはいないじゃないよ。

――そんな思いで始めたのが、「ねこ俳句」なのでした。

 

ただひたすらに、猫の俳句を一日一句。淡々と詠む日々が始まりました。

そうして、10目の朝。

奇跡です。言葉が、無駄なことばが、体の奥からどんどん溢れてくるのです。

それはもう、呆れ返るくらい、どうでもいい言葉ばかりが。

きっと沈黙していた一年半分の無駄話が。

 

エヴァンゲリオンミサトさんが、失語症の後におしゃべりになった、

あの感覚が「わかるよ」って感じです。

 

わたしはさっそく、「ねこ俳句」に続く、ふたつめのブログを立ち上げました。

それが、当ブログ「トリトンと月」です。

この「哂う豚」にお引越ししました。

 

でも、どんなに無理やり理由付けしても、

わたしはきっと、ふたたび沈黙の世界に戻る。

それは予感というより確信です。

基本、沈黙や諦念やディスコミュニケーションが好きみたいなのです。

困ったことに。

コミュニケーションを閉ざしてはいけないという思いと、

本当は黙って布団で寝ていたいだけ、という思いとが、

いつも心の水面で満ち引きを繰り返しています。

 

そう、コミュニケーション。

それは、わたしがブログを始めたもうひとつの理由なのでした。

わたしがいちばん真摯なコミュニケーションだと思うのは、

「他者の命を食べる」こと。

二番目が、「殺しあう」こと。

そして三番目が、命のやり取りを避けるために生み出された、

数々のツールを使うこと。

ツールのひとつは、ことばです。

それから、お金です。

お金というコミュニケーションツールについて、

わたしはアフリカに住むエイズの少年に、深く教えられました。

そんなお話しを、次回はしたいと思います。

「わたしがブログを始めた理由」。しつこく3に続くよ!

 

この話のつづき→ お金は弱者のコミュニケーションツール――わたしがブログを始めた理由3 - 哂う豚

 

※この記事は、一ヶ月ほど試験的にやっていたこのブログの前身ブログ「トリトンと月」よりお引越しで転載させた記事です。