哂う豚

あえて火中の栗を拾う

私が社長ならこの子を雇いませんと母に言った担任

「私が社長ならこの子を雇いません」

中学一年生の時の家庭訪問で、植野先生(仮名 男性 40代)は母に言った。

話の前後はよく覚えていないけど、「落ち着きがない」「授業をろくに聴いてない」「やればできるのにやらない」「そのくせテストの点は高いから、人生を舐めているんじゃないか」みたいな話の後で、しめくくりとして言ったんじゃなかったろうか。だぶん。

 

 

以後、母は何年も何年も、担任の発言を持ち出してはわたしをなじった。

「どうせおまえは担任に『私が社長ならこの子を雇いません』と言われるほどのダメ人間だ」と。

ああ、うっとうしい。あの担任め、余計なことを言ってくれちゃってもうっ。と(反省の色もなく)思いつつ、成績は順調に下降しながら学生時代を送った。

 

だけど、社会に出るとわたしを雇ってくれる社長はいた。

会社を辞めてフリーになってからも、わたしを使ってくれる会社や個人や社長はいた。そのうえ、何の奇跡か結婚までできちゃった。社会って、学校よりも家庭よりも、ずっとわたしに優しいよ!

人の世は、ダメ人間にも意外に優しい。今回は、そんなお話しです。

 

 

そもそも植野先生は、ある特定の人に優しい

植野先生(仮名 男性 40代)は、自身を「苦労人」に位置づけていた。新卒で教師になったんじゃなく、社会経験を積んでから教師になったことも、自分を「苦労人」と思う一因みたいだった。

植野先生は、「おとなしくて」「能力が高くなくて」「だけどくじけずかんばっている子」が大好きだった。彼がそうと思う子を、とても大切に扱った。

そんな植野先生のクラスでのお気に入りは、早瀬君(仮名)だった。

 

 

早瀬君(仮名)は、華奢な体によく似合う、繊細な心の少年だった。お母さんが子煩悩なのか、ひんぱんに早瀬君と連れ立って歩く姿がクラスメイトから目撃され、「マザコン」とからかう男子がいた。からかわれても、早瀬君は何も言い返さなかった。

 

 

そんな早瀬君が、お母さんにはけっこう強気に当たることを、わたしは知っていた。家が近所だったから。それから、早瀬君が猛烈にプライドが高くて、わたしのことをなぜか見下していて、時々小馬鹿にしたような笑みを浮かべることも知っていた。

 

 

わたしは早瀬君のことを、好きでも嫌いでもなかった。ごくごくふつうのご近所さんとして、クラスメイトのひとりとして、付き合っていた。ただ、植野先生は、どうしてこんなに早瀬君のことが好きなんだろうってところだけが、どうにも不思議で釈然としなかった。

 

小鳥事件

ある日、早瀬君が事件を起こした。隣のクラスが飼っている小鳥を、理由は忘れちゃったけど、「1日預かってくれ」と頼まれた。そして鳥かごが我が教室にやってきた。

ところが、うっかり早瀬君が鳥かごを落として、出入り口が開いて小鳥が逃げてしまったのだ。

目撃者が複数いた。

 

「早瀬が小鳥を逃がしちゃったよ」

「それから、早瀬も逃げちゃった」

そんな報告がクラスを回った。早瀬君はいなかった。

 

翌日も、早瀬君は学校に来なかった。

「ずる休みだ」

「逃げたんだ」

男子たちが言うと、植野先生は怒った。

 

「ずる休みじゃない。逃げていない。早瀬は気が弱いだけなんだ! 今後、早瀬を悪く言う奴がいたら許さない」

クラスメイトは黙った。

翌々日から早瀬君は教室に戻ってきた。ひとことも謝罪を口にすることはなかったが、参っている風でもなかった。

 

 

墨汁事件

小鳥事件が風化したころ、席替えで、早瀬君はわたしの後ろの席になった。

ある日、習字の授業の後に、わたしは自分の着ているブラウスの、背中と肩の中間辺りに墨汁がついていることに気が付いた。

 

 

「ちょっと早瀬。あんた飛ばしたでしょー」

責める口調でもなく、わたしは言った。実際、怒りはなかったのだ。「ああもうっ」くらいの気持ちだった。

返ってくる答えは「あれ飛んじゃった?」でも、「飛ばされるおまえがドンくさいんだよ、バーカ」でもよかった。

ところが、早瀬君の応えはわたしの予想を超えた。

 

「僕じゃないよ」

 

だけど位置関係から、早瀬君以外に墨汁飛ばしの犯人はありえない状況だった。あからさまな嘘をつくから、わたしはちょっと怒りが湧いた。

「なんで嘘つくの? 別に責めてないのに」

 

「僕じゃないよ」

 

早瀬君は再び言った。強張っている。本気で「僕じゃない」と思っている顔には、とうてい見えなかった。でも、頑として言を曲げない意志を感じた。言うだけ無駄だとわたしは思った。

「もういいよ」

あきらめて前に向き直る視線の端に、早瀬君の小さな笑みを捕らえた。傲慢に滲んだ笑み。わたしを見下した、あの哂い。

 

早瀬は気が弱いだけじゃない。プライドが高すぎるのだ。

帰り道、やり場のない怒りを抱えて通学路を歩いた。早瀬君をなじったって、どうせあの子は反省しない。それどころか、わたしが悪者として植野先生から叱られるだけ。そんなことより、今はブラウスを汚したことをママから叱られることに備えなければ。

 

思えば思うほど、やりきれなかった。

理不尽だ。世の中は理不尽だ。本当にどうして、植野先生はあんなヤツの味方をするんだ。わたしの味方はいないのか。そう考えていた時に、ふいに清(仮名)という少年のことを思い出した。

 

 

わたしには味方がいた

清(仮名)は、小学生の時、同じ登校班だった一学年上の少年だ。いわゆる「知恵遅れ」と呼ばれる子供で、「研究学級」という名まえのついたクラスの生徒だった。

 

わたしは小学一年生の時引っ越してきたチビで、当時は右も左もわからなかった。登校班なんてものの存在も知らなかった。登校班のメンバーのほうも、よそから来たチビなんか相手にしなかった。意地の悪いガキの集団だった。

 

そんな中、清だけがわたしの存在を認めてくれた。毎朝迎えに来てくれた。毎日毎日、かかさず我が家の門を開け、玄関のチャイムを鳴らす。

「清が来たわよ、さっさと支度をして学校に行きなさい!」

母が怒鳴り、わたしはランドセルを背負って玄関を開ける。そして、清を見上げる。

 

 

清はひとこともしゃべらない。だから、わたしも清に「おはよう」も「ありがとう」も言わない。そんな関係が、しばらく続いた。

わたしがチビでもよそ者でもなくなった頃、清は自然に迎えに来なくなった気がする。

 

信じられないことに、わたしと清は、ただの一度も言葉を交わした事がなかったんだ。

 

 

理不尽だから、生きていける。

清が、理に叶うとか理不尽とか、そんなこととはまったく無関係に、傲慢なわたしに優しくしてくれてたんだってことを思い出したら、理不尽への怒りは消えていた。そして、人の世は、理不尽だから良いのかもしれない、とさえ思いついた。

 

 

わたしのようなダメ人間にも、清が味方してくれる。

早瀬君のような弱い人間にも、植野先生が味方してくれる。

 

ガリガリに痩せた子が好きなひともいる。

ぶくぶく太った人がたまらないという人もいる。

これといった特徴がないところこそが特徴的で好きだ、って思うひともいる。

凶悪殺人犯が愛されて、獄中結婚することもある。

割れ鍋に、綴じ蓋。

 

 

もしかして、世の中ってそういう風にできているんじゃないかって発見した。

なんたって、地球には何十億人もの人間が住んでいる。ありとあらゆる人々が生きてる。

だから、だいじょうぶなんだ。

 

 

良い子にならなくても、人から好かれる言動や容姿を持っていなくても、全員、ぜんぜん大丈夫なんだ。

自分の味方は、必ずこれからも見つかる。

ひとがたくさんいる、広い場所にさえ出れば。

そんな風に思った夕焼けの帰り道、中学一年生の頃のお話でした。

 

 

「世の中、そんなに甘いものじゃない」はわたしにとっては嘘だった

学生時代、何度も何度も何度も言われてきたよ。

「世の中、そんなに甘いものじゃない」。ところが、わたしにとって世の中は、学校や家よりも、はるかに楽な世界だった。頭上を遮るものが何もない! 荒野! 自由!

そして、くり返しになるけど、とにかく色んなタイプのひとがいる。

 

 

今現在、学生のひとたちは、何があっても自分を卑下しなくていいと思う。

就活で、お祈りされて、「私が社長ならこの子を雇いません」と何度も何度も否定されたとしても。そんなこた関係ない! それは、単なるあちらさんの都合。それだけ。

あなたは何ひとつ、損なわれてやる必要なんかない。

 

 

――やっぱりわたし、未だに世の中や人生を舐めているのかな?

 そうそう、書き忘れるとこだった。植野先生はわたしたちが卒業した数年後、校長先生になったよ。