哂う豚

あえて火中の栗を拾う

海馬が脳から逃げてゆく――わたしがブログを始めた理由1

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わたしがブログを始めた理由1

言葉を失うと、記憶も失ってしまうんだろうか。

わたしは今、記憶力がとてもやばいんだ。

物や人の名称が、なかなかでてこない。

あるいは、永遠にでてこない。

30秒前から、つらつらと脳内に走らせていたはずの思考が、

ふっと消える。

「あれ? 今、何考えてたんだっけ?」って。

眠る直前の、夢うつつな思考回路が、昼間もずっと続いているみたい。

果ては、自分のなまえが思い出せなくなっていた。

さすがに青褪めたよ。

 

老化現象には、まだちょっと早いと思う(思いたい)し、

原因は何だろうって考えてみた。

で、文章を書かなくなったせいかなあ?

って仮説を立ててみた。

 

文章を読んだり書いたり読んだり書いたり、

けっこうたくさんしなくちゃならない仕事をしていた。

でも、やめた。

きっかけは何かなあ。たくさんある。

いちばん大きいのは、3.11の震災だと思う。

なんというか、「終わった」って思ったんだ。

3.11以前の世界は、もう終わった。

これからは、まったく別の世界が始まるんだって、強く感じた。

 

だけど、それはわたしの気のせいだったんだろうか。

人々は、誰もが「昨日の続き」を生きているみたいだった。

「止まない雨はない」とか。

日はまた昇る」とか。

ひと続きの現象として捉えているみたいだった。

だとすると、「終わった」のは世界じゃなくて、

「わたし」だったんだろうか。

 

わたしは終わっても、すぐには止まらなかった。

電源を落とした扇風機が、しばらくは回っているように。

それなりに、ゆるんゆるんと動いていた。

書き留めなくちゃ、と思っていたし。

灯りの消えたこの街を。

食料品が棚から消えたことを。

飛び交っているデマを。

記憶にとどめるために、書き残しておかなくちゃと思った。

でも、しばらくしたら、ぴたりと手が止まった。

文字を書くことに、脳が拒否反応を起こしてるみたいで、

ペンを握っても、キーボードに向かっても、一文字もでてこなくなった。

 

一年半くらいかなあ。まったく、これっぽちも文字を書かなかった。

そしたら、アレですよ。

最初に言った、記憶の消失に気付くに至ったわけですよ。

 

――こんな風に書くと、まるで心が病んじゃってる可哀想な子みたいだけど。

実際のわたしは、ちっとも可哀想じゃないんだよ。

悪いことをたくらんでは、「イヒヒ」と喜んでるし。

めしは美味いし。日々はおだやかで楽しいし。

夫はわたしにメロメロだし。

何よりも、世界へ向けた「承認欲求」みたいな、

過剰な自意識が、すっかりなりを潜めちゃって、

生きているのが楽ちんで、生まれてから初めてくらいに心が穏やか。

 

でも、記憶をどんどん失っていくのは怖い。

日記とか、家計簿とか、何か文字を書いてみようと思うけど、

いきなりそんな長文に挑むのは無理。

そこで思いついたのが、俳句だったのです。

 

すっかり長くなっちゃったので、いったん切ります。

続きは 廃人から俳人へのメタモルフォーゼ――わたしがブログを始めた理由2 - 哂う豚で。

 

※この記事は、一ヶ月ほど試験的にやっていたブログ「トリトンと月」から、お引越しさせた記事です。元の日付は2014.5.1